
勝間塾セミナーとかTOEIC教室とか、フォトリーディングとか、自分のスキルアップに繫がることが好きだ。わざわざお金と時間を費やして、なんでそんなことするの?と聞かれる度に、返答に窮するのだが。だって、楽しいじゃない?知的好奇心が刺激受けるのって、自分の知らなかった概念や知識を知る事で、自分の行動範囲や経験が広がるんだよ?って、言っても、「???」という顔をされたり。伝わない虚しさを感じつつ、自分が楽しければいいや、とか向上心のない人にこの喜びは分かんないだよ、なんて、あまつさえちょっと上から目線で考えたり(すみません)。
それがここ数年、すごく苦しい。
原因は、結果が出せていないから。昇進試験に受からない、恋愛が思うように進まない、仕事が辛い。結婚だ、出産だ、と人生ステージをクリアしていく友人達を横で見ながら、私は何も手に入れておらず、人生の駒を進められずに、今なおあがき続けている。苦しい、哀しい、悔しい。焦りや不安が自分を支配し、自分の中で発酵する、というよりは、腐っていき、やがて、それは、しだいに周囲の人間への怒りへと変わる。だって、上司が理解してくれないから、あの人あの時協力してくれなかったし、それにそれに…。意識して考えている、というより、無意識に繰り返される思考。ぐるぐるぐるぐる、そこから、抜け出せずに。
そして、そのネガティブ感情を否定し、忘れるかのように、私は自己啓発にはげんできた。簿記、TOEIC、フォトリーディング、勝間塾、山田ズーニーさんの文章講座。どの講義も有用で、その後仕事上や人生で役に立つ知識には違いない。簿記2級も取ったし、TOEICも800近く出した。しかし、何をやっても報われない、この虚無感、なんだ、これ。。穴埋めするかのように、次から次へと講座をうけては、同じ事を繰り返す。
そして、やっと気がついた。
私は、学びを体感できていない。
頭で理解して身体を使っていない。
例えば、話すチカラやプレゼン能力を上げて人に伝える悦びを、学んだ会計知識を活かして経理したり、会社の財務諸表を読み解く面白さを、モノを書いて自分を表現する楽しさを、自分はなにも体感していないんだ。
では、どうすれば?
それこそ、私が敬愛してやまない勝間さんが口を酸っぱくして言ってきたことだ。
アウトプットしなさい。
ブログに書く、人に話す、行動を起こす。何でもいいから、アウトプット。
それの何が大事なの⁇ブログを書いたり、話したり。いちいちしなくても、ちゃんと理解したよ。ブログを書くって、面倒くさいんだよ、てまてま打つのたるいし、仕事で疲れてるのにまたパソコン⁇?多分、無意識に言い訳してた。
こうして書いてみて、はじめて分かる、アウトプットの難しさ。
まず、書くことが浮かばない。人にわざわざ話すことか⁇という、思いが、日常を通して学ぶ小さな気付きへの感受性を鈍くする。
次に、どう書くか。漠然と心のなかに浮かぶ自分の思いをいかにまとめて話すか。ようするに何がいいたいの?って言われないように、思考を整理して、かつ人に伝わるように具体的に、比喩とか使って、分かりやすく。そこで思い知らされる自分の表現力のなさ。言葉にすることは考えることだ、というけれど、自分の底の浅さをも改めて感じさせてくれる。あれ、自分意外と何も考えてないな、と。
でも、それがスタートじゃないか??
自分はこう思う、こう考えるから、こうしたい。日々物事の決断をするときの判断基準となるもの、確かに自分が選択したという確固たる意志。自分はこんな人間で、こう考える、と自己を表現して他人に伝え、理解してもらい、また自分もあいてを理解することで育まれる信頼関係。互いに互いが作用しあい、ちょっとずつ考え方や行動が変わっていったり、世界が広がったり。それが人間としての深みや成長に繫がる。
それは絶対に、机上での学問だけでは育たない自分の軸となるものだ。
いっぱいいっぱい勉強してきたつもりだけど、そうじゃなかった。
だから、安易にインプットだけする自己啓発に逃げるのは、もう辞めよう。学びを咀嚼して、自分の糧へと変えていくために、体感に変えていこう。もちろん、勉強は続けるけども。
今日の気付き→言葉にする☆
日々前に進んでいきたい。
それがここ数年、すごく苦しい。
原因は、結果が出せていないから。昇進試験に受からない、恋愛が思うように進まない、仕事が辛い。結婚だ、出産だ、と人生ステージをクリアしていく友人達を横で見ながら、私は何も手に入れておらず、人生の駒を進められずに、今なおあがき続けている。苦しい、哀しい、悔しい。焦りや不安が自分を支配し、自分の中で発酵する、というよりは、腐っていき、やがて、それは、しだいに周囲の人間への怒りへと変わる。だって、上司が理解してくれないから、あの人あの時協力してくれなかったし、それにそれに…。意識して考えている、というより、無意識に繰り返される思考。ぐるぐるぐるぐる、そこから、抜け出せずに。
そして、そのネガティブ感情を否定し、忘れるかのように、私は自己啓発にはげんできた。簿記、TOEIC、フォトリーディング、勝間塾、山田ズーニーさんの文章講座。どの講義も有用で、その後仕事上や人生で役に立つ知識には違いない。簿記2級も取ったし、TOEICも800近く出した。しかし、何をやっても報われない、この虚無感、なんだ、これ。。穴埋めするかのように、次から次へと講座をうけては、同じ事を繰り返す。
そして、やっと気がついた。
私は、学びを体感できていない。
頭で理解して身体を使っていない。
例えば、話すチカラやプレゼン能力を上げて人に伝える悦びを、学んだ会計知識を活かして経理したり、会社の財務諸表を読み解く面白さを、モノを書いて自分を表現する楽しさを、自分はなにも体感していないんだ。
では、どうすれば?
それこそ、私が敬愛してやまない勝間さんが口を酸っぱくして言ってきたことだ。
アウトプットしなさい。
ブログに書く、人に話す、行動を起こす。何でもいいから、アウトプット。
それの何が大事なの⁇ブログを書いたり、話したり。いちいちしなくても、ちゃんと理解したよ。ブログを書くって、面倒くさいんだよ、てまてま打つのたるいし、仕事で疲れてるのにまたパソコン⁇?多分、無意識に言い訳してた。
こうして書いてみて、はじめて分かる、アウトプットの難しさ。
まず、書くことが浮かばない。人にわざわざ話すことか⁇という、思いが、日常を通して学ぶ小さな気付きへの感受性を鈍くする。
次に、どう書くか。漠然と心のなかに浮かぶ自分の思いをいかにまとめて話すか。ようするに何がいいたいの?って言われないように、思考を整理して、かつ人に伝わるように具体的に、比喩とか使って、分かりやすく。そこで思い知らされる自分の表現力のなさ。言葉にすることは考えることだ、というけれど、自分の底の浅さをも改めて感じさせてくれる。あれ、自分意外と何も考えてないな、と。
でも、それがスタートじゃないか??
自分はこう思う、こう考えるから、こうしたい。日々物事の決断をするときの判断基準となるもの、確かに自分が選択したという確固たる意志。自分はこんな人間で、こう考える、と自己を表現して他人に伝え、理解してもらい、また自分もあいてを理解することで育まれる信頼関係。互いに互いが作用しあい、ちょっとずつ考え方や行動が変わっていったり、世界が広がったり。それが人間としての深みや成長に繫がる。
それは絶対に、机上での学問だけでは育たない自分の軸となるものだ。
いっぱいいっぱい勉強してきたつもりだけど、そうじゃなかった。
だから、安易にインプットだけする自己啓発に逃げるのは、もう辞めよう。学びを咀嚼して、自分の糧へと変えていくために、体感に変えていこう。もちろん、勉強は続けるけども。
今日の気付き→言葉にする☆
日々前に進んでいきたい。


